正義の味方

正義の味方

正義の味方

前から思っていたのだが、どうして「味方」なのだろうか。同じように悪の方は「手先」なのだよなあ。

 

このような表現は、一見純粋正義とか純粋悪とかの人物もしくは組織があって、正義の味方なり悪の手先なりはそいつに協力したり手下になったりしているだけにもとれる。主体性がないというか、真っ向から責任を受け止めてないのではないのか。

 

「味方」ですよ。敵ではないだけまだましだが、どう考えても先頭にたって悪と戦っているというかんじではない。せいぜいが後方支援か、側面援護である。湾岸戦争における米軍以外の軍隊というイメージなのだ。

 

「悪の手先」の方は、それでも何となく納得できる。つまりは下請けなのだよね。純粋悪は、ホームズにおけるモリアーティ教授のようなもので、方針なり計画なり理想なりを体現していて、手先がせっせと現場で働くという。それはそれでよくわかるイメージではある。手先を倒しても悪はなくならないものね。

 

しかし「味方」はねえ。ヘンだと思うのだよ。イメージ的に言うと、まず「正義」という本体が戦っていて、そこに正義の味方がかけつけてきて協力するというところだろう。だが、現場には正義などいやしないのである。正義の味方は、大抵の場合孤立無援で支援もほとんどない状態での戦いを余儀なくされるのだ。

 

これはどうしたことだ、と昔考えて、その時はよく判らなかったのだが、人生経験を積むうちにだんだんと判ってきたような気がするのだった。いやもちろん、正しいかどうか判らないのだが、そもそも正義とは何か、ということである。

 

苛烈なものであると、思うのだよね。おそらく、破壊神みたいなものではないだろうか。一切の妥協を排除した、ただ正義を貫くだけの存在というか、力というか。なぜか。もしちょっとでも隙があれば、悪につけ込まれてしまうからなのだ。それはおそらく「悪を倒すためには何をやってもいい」というくらい情け容赦のないものだ。

 

つまり、核兵器のようなものである。パワーがありすぎて微調整が効かない。人質がいようが町中であろうが、ただ悪を粉砕するというだけの何も考えないものになる。だが、実際の現場はそんなわけにはいかないのである。悪がはびこったからといって、地球ごと破壊してしまっては駄目なのだ。ゴキブリが繁殖したからといって家ごとぶっこわすわけにはいかない。

 

だから、あえて「正義」は現場に出ずに、もうちょっと軟弱な「味方」が出てくるわけである。味方だから、相手を全否定するわけではない。正義と悪の闘争においてはあくまで第三者であり、まあまあ……と良いながらなるべく穏便に済ませようとするのが正義の味方なのである。

 

まあ、色々なのがいるから必ずしもこの条件に当てはまるとは限らないけどね。「俺が正義だ!」と叫ぶようなヒーローもいたけど、あれはやはり少し精神異常だろう。正義のような抽象概念を現実に持ち込んだら、社会なんか消し飛んでしまうからなあ。

 

正義が通る方が少ないのだ。

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